大学受験を通して学んだこと
僕は今大学2年です。
1年半ほど前に大学受験をしました。
当時はがむしゃらに勉強して、視野も狭く、周りが見えていない状況だったのですが、今となってはその経験を生かして英語の勉強、インターンシップなど色々と行動できているので、大学受験から学んだことをちょっと書こうかなと思います。
主に大学受験を通して学んだこととしては3つほどあります。
1.考えて行動する力
2.自己分析することの大切さ
3.成果=集中力×時間
1.考えて行動する力
がむしゃらに努力すればどうにかなる。
小学校、中学校、高校と常に自分はこう思っていました。
根性で努力することこそが成果に近づくことの何よりの近道とずっと思っていたんです。
これは間違いではないのですが、正しくはありません。
正しくは、「考えた努力は報われる」です。
どういうことか。
すごく極端な話で言うと、英語のテストを受けるために数学の勉強をしても英語の点数は上がらないですよね?
こんなすごく当たり前なことなんですけど、僕はわかっていなかったんです。
僕は国語が大の苦手でした。小学校から高校3年の秋までずっと。
高校受験まではそれでもどうにかなるくらいのレベルのとこしか受けなかったので大丈夫だったのですが、大学受験となるとそうはいきませんでした。
僕が狙っていたのは私大文系。受験科目は英語、国語、日本史。
英語と日本史は得意だったのでどうにかなっていました。しかし、その二科目がある程度伸びた後はどうも3科目総合の偏差値に伸び悩みました。原因は明らかです。
「国語」が足を引っ張っていました。
国語の対策を始めたのが10月半ばくらいで周りの子と比べても非常に遅かったです。
なんでこんなにも対策が遅れてしまったのかと言うと、英語と日本史の点数を95%ほどまで上げてから対策しようと考えていました。これが僕の受験期1つ目の大きなミスです。
6月に部活を引退してから夏休み、9月と英語・日本史の点数は全体の85%前後をさまよっていました。当たり前のことですが、50%から70%に点数をあげるのと85%から95%に点数をあげるのでは明らかに前者の方が簡単です。
にも関わらず、僕は国語の穴埋めをするために後者を選択し何も考えず英語と日本史を頑張っていました。
結局10月半ばの時点で点数は90%から上がらず、さすがにこれ以上遅くはできないと焦って国語の対策を始めました。
最初はあまり上がらないのですが、段階を追って記述などから読み方を覚えていくと面白いように国語の点数が上がっていきました。11月の河合模試では8月時点で48だった偏差値が64まで上がりました。約1ヶ月ほどで。その時になってやっと、いかにゴールから逆算してポイントを絞り勉強するかが大切なのか身をもって知りました。
受験の期間は限られています。その限られた期間の中で僕のように何も考えずがむしゃらに努力していてはダメです。しっかりとゴールから逆算して、ポイントを絞った上で勉強すること=考えて努力をすることが大切だと知ることができました。
2.自己分析することの大切さ
自己分析の時間は無駄だと思っていた。
塾の先生からは自己分析をすることが成績をあげることの近道と言われていたんですが、自分は他のやるべきこと、例えばこの一週間では英語の参考書を一冊終わらせると決めていたらそれを終わらせることに集中してしまい、模試の結果が帰ってきても順位、点数と志望大学の判定を見るだけで自分が志望校とどのくらいの差があるのか、どの分野ができていなかったのかなど全く分析していませんでした。
これが僕の受験期2つ目の大きなミスです。
模試の結果は自分のやらなければいけない点をピンポイントで教えてくれるどんな参考書よりも優れた参考書です。言うなれば受験の指南書のようなもの。これを上手く活用する力が僕にはなかった。
逆に言えば、模試をしっかりと活用することが合格への近道となることは間違いないでしょう。
この自己分析する力は受験の世界に限らず役に立ちます。
例えばトークの技術が高く、活動的で野心家であれば営業の活動に挑戦してみたら自分は活躍できるのではないかと考えることができます。さらに海外で働きたい思いが強くあるのならばそれと掛け合わせて商社が自分にあってると思うこともできます。
極端な話ですがこのように自分が将来就きたい職業を考えるときにも自己分析は役に立ちます。
自分を厳しく見る必要も優しく見る必要もありません。
目の前の自分がどの位置にいるのか、何をしなければいけないかを知るために自己分析をするのです。
それだけで自分が進むべき道が見えてきます。
3.成果=集中力×時間
仕事や勉強をしていて、ふとぼーっとしていて我に帰ることってありませんか。
受験期の夏、遅れを取り戻そうと必死に追い込みすぎた疲れと受かるかどうかの不安からか3週目あたりからちゃんと集中していない時間が多くなりました。
自分ではやってるつもりでも時間だけが過ぎ、内容が頭に入ってこない。
しかし、自分は焦りから無理やり自分を集中させようと参考書を読んでいました。
ここが僕の3つ目の間違いでした。
メンタリストDaigoさんの本で読んだのですが、人間の集中力は携帯の充電と同じでなくなるとチャージしなければいけないそうです。
集中力がなくなることは脳が疲れている証拠でありしっかりと休憩を取ることが大事、にもかかわらず休憩を取ることが勿体無いと感じていたため、休憩を惜しんで自分に鞭打って机に向かわせ集中力が続かず内容が入ってこないという悪循環を自然と作ってしまっていました。
しっかりとon/offの切り替えを作り、集中力を保つことが大切だと学ぶことができました。
長々と書きましたが、言いたいことはとどのつまりこういうことです。
受験では頑張った分だけ学ぶことがたくさんあるため今受験生の人、これから受験を考えている人はぜひ目標に向かって頑張って欲しいです。
読んでいただきありがとうございました。
正直に生きること
おはこんばんにちは。
暇なんで、頭に浮かんだネタでも書こうかなと思います。
「正直に生きること」
皆さんは毎日を正直に生きてますか?
人はよく嘘をついてしまう生き物です。
・何か悪いことをしてしまい、自分に都合が悪いとき
・自分を大きく見せるために、自分を誇張してしまうとき
・その他もろもろ
まあ、様々な場面で嘘をついてしまうわけですよ。
友達なんかと話してても大学の課題提出が遅れた時、友達との約束をすっぽかした時、
ライン未読無視した理由、くだらないところだとヤった女の人数とか、昔の武勇伝とか、あげたらキリがないんですけど、ほんとどうでもいいようなところで嘘をつくんですよね。
ラインの未読無視とか特にそうですけど、みんな未読無視なんかしてんだからいちいちそんなとこで嘘なんかつくなよって感じですよね。
僕は基本的に嘘はつきません。
もちろん時と場合によるんですけど、基本的には思ったこと、事実を正直に言います。
実はある出来事からの経験でこうなりました。
というのも小学校の頃、親の金を30万ほど盗んでめちゃくちゃ怒られたことがありました。
正直なところ、周りの友達とかと比べて自分の家は裕福でした。お小遣いも周りの友達よりはもらってました(自慢ではないです)
じゃあなんで親の金を盗んだのかというと、自分は小さい頃から気が強かったのですがそれがあまりにも度がすぎて、ちょうどその時期、小学校で嫌われることが多くなりました。今考えるとその時に自分は寂しいと感じていたのかもしれないんですが、そんな寂しさすらも感じないほど気が強かったんです笑。
そんな中で新しいゲームやおもちゃなんかを持っている時、その話を学校でする時だけは比較的友達と話すことができました。
きっと友達とそうやって話すきっかけが欲しかったんだと思うのですが、ゲームやおもちゃを好きなだけ買えれば友達と話せるやん、みたいに思い、さすがに大量のゲームを買うのには自分の小遣いだけじゃ足りず、おじいちゃんとかに言えばそんなもの買えるお金はもらえたのですが、そのことを母親に言われるのが嫌で、親の金を盗み始めました。
地元はど田舎でゲームを買うには地元で一番大きなショッピングセンターに行くしかなかったのですが、小学生だけでそこに行くのは禁止されていました。家にもよるのですが僕の家はそういった点で厳しく、行かせてもらえない部類の家でした。
しかし、ゲームを買うためにはそこに行くしかなかったので、親には内緒で友達と行ってました。そうすると、遊びから帰った後必ずどこに行っていたのかを聞かれるのですが辻褄を合わせるために次々と嘘をつかなければなりませんでした。
最初は楽しいという感覚しかなく適当に嘘もついていたのですが、一ヶ月ほど経つと嘘をつくために嘘をつかなければならず、自分の発言全てに神経を集中させるようになりただ話すだけでもくたくたになるほど疲れました。
今思うとよくバレずにあんなにも嘘をつき続けられたなと思います。
そこからも色々あり3ヶ月ほどたった頃、とうとうそれがバレてかつてないほどしこたま怒られました。
親に最初に話すのは怖かったのでまずおばあちゃんに相談したところ、おばあちゃんは「今までやっちゃったことをお母さんとお父さんに全部話しなさい、そうすれば楽になるから」そう優しく言われ、大泣きしたのを覚えています。
その後、自分がしてしまったことを全てありのまま話したところ、肩の荷が下りたというのか今までにないほど気持ちが楽になりました。
この出来事がきっかけだったと思うのですが、その後日常生活ではどんなことにも嘘をつかなくなりました。まあ度がすぎて思ったこと全てを口にしてしまうことも多々あるのですが、、、
そうすると嫌われることも多くあるのですが、本音を常に言っているため本当に仲のいい友達が自然と集まってきます。そういう奴らとは心置きなく話すことができ、自分を取り繕う必要がないため、めちゃくちゃ楽しく感じられるんですよね。
周りの友達で、自分を一生懸命取り繕ってコミュニティに馴染もうとしている人をよく見かけます。特に女子に多い。
確かに、どこのコミュニティに属せず寂しくなる気持ちもわかります。それを他人に馬鹿にされるのが恐ろしくなる気持ちもわかります。
ただ、自分を偽ってまで、中身の無い安心を求めるのって大変じゃ無いですか??
嘘は、見ることのできない重りです。
下ろすことができないからこそ、見えないからこそ何よりも思い重りです。
僕は嘘という名の重りを持たないように、自分に正直に生きてます。少なくとも本人はそのつもりです。
多分それが理由だからかはわからないけれども、ストレスを感じることがありません。毎日が楽しく感じます。
これを読んでいる皆さんの中で、自分が嘘という重りをまとっている人がいれば一度それを下ろしてみてはどうでしょうか。きっと本当の自分と向き合うことができ、いろんなことが楽しく感じられますよ。
最後まで読んで頂いた方ありがとうございます。
普段自分考えていることを長々と書いてしまいました。すいません。
でもよく自分を偽る人を見かけるので、その時感じることを書いてしまいました。
自分と本当に向き合えてない人なんかに読んでいただけたら嬉しいです。
※文章書くの下手なんで、変なとこあっても気にせず読んでください笑。